「宮通り」は福山神社ではなく惣堂八幡宮(福山八幡宮)の参道

福山駅から350メートル南の位置に「宮通り」と神額のある鳥居と、「宮通り口交差点」があります。そこから200メートル東の位置にも鳥居があり、その付近に福山ふくのやま神社があるため、福山市民の多くが福山神社の参道と勘違いしていますが、実は異なります。今回は福山城築城の頃の様子とともに、何の鳥居なのか紹介します。

福山城築城の頃の様子

現在、福山城公園がある一帯は、かつて野上村という地名であり、常興寺山と呼ばれていました。そこには常興寺(常輿寺)があったほか、付近には惣堂そうどう八幡宮や若宮八幡宮もありました。水野勝成が常興寺山に福山城を築く際、常興寺山は接収され福山と新しく地名が付けられました。一方、常興寺の寺物は胎蔵寺・龍興寺へ遷され、惣堂八幡宮は神嶋町下市に遷され、野上村と若宮八幡宮は大杉に遷されました。のちに若宮八幡宮は野上八幡宮と改称されました。

宮通りの由来は「惣堂八幡宮」

承保年中(1074年頃)に宇佐八幡宮から分け奉られました。水野勝成が福山城を築く際、常興寺山にほど近い樫木谷にあった惣堂そうどう八幡宮は、「神嶋町下市」という現在の延広町に遷されました。その後延広八幡宮と改称されました。この宮の参道こそが宮通りであり、その鳥居が形を変えて残っています。

「惣堂八幡宮」と「若宮八幡宮」は現在「福山八幡宮」となっている

天和3年(1683年)に延広八幡宮と野上八幡宮は備後福山総鎮守の社として松廼尾山に遷されます。延広八幡神社、野上八幡神社と改称された後、昭和44年(1969年)に対等合併して「福山八幡宮」となりました。対等合併した神社は全国的に珍しいことです。

それなら福山神社とは一体・・・

福山ふくのやま神社は、福山城築城のため、町家繁盛のため、交通安全祈願のためにそれぞれあった3つの神社と、町内で祀られていた合計4社を昭和33年(1958年)に合わせて祀られた神社です。

アクセス

惣堂八幡宮のあった場所は、広島県福山市延広町8-91の付近です。

福山八幡宮の場所は、広島県福山市北吉津町1丁目2-16です。

福山ふくのやま神社の場所は、広島県福山市元町14-1です。

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