清流と歴史が織りなす「芦田川」備後の母なる川とその歴史

福山市の交通

芦田川は広島県東部を流れる一級河川で、地域の生活や経済、文化を支えています。その歴史、地形、生態系、そして人々との関わりについて詳しく解説します。

圧倒的な存在感:広島県東部を代表する河川

芦田川は、広島県東部を流れる大きな川で、備後地方を代表する一級河川と呼ばれています。一級河川とは、国が管理する大きな川のことを指します。芦田川は、三原市大和町蔵宗という場所から始まり、府中市や福山市を通って最終的に瀬戸内海に流れ込んでいます。

芦田川の長さは86キロメートルで、川が流れる地域の面積は860平方キロメートルです。そして、この川の水の9割は、工場で使う水や飲み水、農業で使う水などに利用されています。そのため、芦田川は地域の人々の生活や経済、文化を支えている大切な川として、「備後の母なる川」と呼ばれています。

豊かな自然と人々の暮らしを支える生命の水

芦田川は、中国山地の南側を流れています。中国山地は山が多い地域で、その山々の形状が芦田川の流れ方を決めています。芦田川は北西から南東に向かって流れ、その途中で何度も方向を変えています。これは、中国山地の地形が複雑で、断層(地殻が割れて動いたところ)が多いためです。

直角に曲がっている場所もあります。神辺近辺では、芦田川の周りが平らな地形になっています。その後、芦田川は直角に流れを変えて、備後平野を流れ、最終的に海に出ます。

また、芦田川の流域(川が流れる地域)は、本州の西南部に位置しています。この地域には、特徴的な植物がたくさん生えています。例えば、川の下流域には、「セイタカヨシ」、「カワヤナギ」、「アカメヤナギ」、「オギ」、「ヨシ」などの植物が見られます。これらの植物は、芦田川の自然環境を形成しています。

歴史の舞台:古代から現代まで続く物語

芦田川の流域は、3千年から4千年前、神辺近辺は「穴の海」と呼ばれる沼あるいは湿地帯でした。これは、沼地や湿った土地のことを指します。しかし、時間が経つにつれて、上流から流れてきた土や砂が積もっていき、平らな地形、つまり平野を作り出しました。

弥生時代から古墳時代にかけて、つまり約2000年前から1500年前の間に、人々は芦田川のそばに住み始めました。彼らは稲作や漁業をして生活していました。弥生時代の遺跡として、府中市の「大塚古墳」や「丸山古墳」、福山市の「草戸千軒町遺跡」などが発掘されています。遺跡からは、人々が使っていた土器や石器、銅鐸などが見つかっています。

そして、近代になると、福山市の発展に大きく貢献した水野氏が、芦田川の流れを変えました。それまで芦田川は片山の東を流れ、高屋川に合流していました。しかし、水野氏は芦田川の流れを、郷分の山際に沿うように変えました。これにより、芦田川の流れは現在のような形になりました。

参考URL

https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0702_ashida/0702_ashida_00.html
https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/ashida-4-2.pdf
https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/ashida-2.pdf
https://www.cgr.mlit.go.jp/fukuyama/river/
https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/shouiinkai/kihonhoushin/040416/pdf/s2-2.pdf

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