広島県福山市には、福山城築城とともに形成された城下町の歴史があります。侍や町人たちの居住地配置や特徴的な町名の成立など、町の発展過程を探ります。
福山城築城と並行して進む城下の町割り
福山城が築かれる際、その周囲には芦田川や海がありました。そのため、城下の町を作るときには、まず治水と干拓工事が必要でした。つまり、城を築く作業と同時に、町を作る計画が進められたのです。
町の配置と機能
福山城の周囲では、侍や武士たちの屋敷が広く配置されました。特に、城の西部と南部には大きな侍屋敷が建てられ、その東部から南部にかけては町人たちが住む町が整備されました。城郭の三方を侍屋敷で囲むとともに、侍屋敷の外側には寺院が配置され、城下町の防衛を強化しました。
町人町は、武士たちが住む城下町の中心として、物資の供給や商品の販売などの役割を果たすため、海上交通に便利な入江筋と街道筋にあたる吉津方面にかけて建てられました。つまり、城下町は城の周囲に侍や町人たちが住み、経済活動が行われる場所として整備されたのです。
町の発展と拡大
まず、大手門前に商人たちが住む神島(現在の神島町)から移住しました。そして、入江には本橋(天下橋)がかけられ、最初の南北の道が整備されました。これによって、米屋町や本町、府中町といった町筋ができ、その東側には胡町や大黒町、笠岡町と通筋ができました。これらの通りは、吉津橋と入江をまたぐ新橋(木綿橋)でつながり、町の南部にも発展が広がりました。
こうした町の拡大には、水野勝成の奨励策もありました。新しい城下に来て、自分の土地を買って商売を始める人には、土地にかかる税金や領内の建設作業のための労働などが免除される特典が与えられました。この特典は、明治時代まで続きました。
特徴ある町名と機能的都市の形成
できあがった町には、以下の特徴ある町名を持つ町並みが次々と形成され、機能的で活気に満ちた新しい都市の建設が進んでいったのです。
- 職業などに関連した町名:鍛治屋町、桶屋町、藺町、大工町、医者町、米屋町、上・下魚屋町、船町
- 出身地に因んだ町名:府中町、深津町、笠岡町、神島町
- 縁起をかついだ町名:大黒町、胡町、福徳町、長者町
- 地形や方角、場所に由来した町名:道三町、中町、西町、東町、天神町
- 町の成立時期因んだ町名:本町、今町、新町
まとめ
福山城の築城と共に発展した城下町の歴史は、その町並みや地名にも息づいています。町の機能的な配置や発展の過程は、福山の地域社会の形成に欠かせない一部です。今日の福山市の景観や文化にもその名残が見て取れます。
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