かつて福山女子高等学校という名前だった学校は2つあります。福山市立福山高等学校は1965年から1969年まで、銀河学院高等学校は1980年から1998年まで福山女子高等学校でした。そして、どちらも門田という人物が関係する学校であるため、混同しやすくなっています。今回は両校の変遷と関係する人物についてご紹介します。
福山市立福山高等学校
1899年に高橋秀太によって福山西町に福山女徳学校が設立されました。高橋秀太は深安郡春日村出身の資産家人物です。私立福山高等女学校、私立女徳実科女学校となります。
1913年に創立者の門田新六と校長の高橋秀太によって福山城址公園東坂下に福山家政女学校として移転設立され、1921年9月に地吹町に移転し私立門田女学校となります。その後、門田実科女学校となり、戦後の学制改革にて門田女子高等学校となります。1965年に広島県福山女子高等学校となります。
1969年に学校法人門田学園を解散し、市へ移管された福山女子高等学校は福山市立福山高等学校となり現在に至ります。
門田新六は同志社に関連する人物です。
門田英男は1900年に広島県で生まれ、1942年に財団法人門田高等女学校設立と同時に理事長となります。1956年に広島県門田高等学校校長となりました。
銀河学院高等学校
1980年に理事長の門田武雄と校長の中村篤弘によって福山女子高等学校が設立されました。その後、理事長は門田昭子、門田峻德、門田雄一郎と変わり、校長は小田邦典、重藤淳、吉津洋二、美濃盛國、倉田秀善、山口昌宏、下江利明、吉岡直人と変わります。この間、1998年に銀河学院高等学校となります。
門田武雄は富士建設を創業した実業家で、歩兵第41連隊、株式会社赤坂遊園代表、福山市社会福祉協議会三代会長・名誉会長、福山市議会議長、全国議長会第44代会長、広島県東部花卉生販協同組合顧問、合同青果監査役などを歴任し、1980年に福山女子高等学校を設立しました。
門田昭子は、1993年2月に富士建設代表取締役、1995年3月に代表取締役会長となる一方、1992年9月29日から1995年まで学校法人福山学園第2代理事長を務めました。
門田峻德は、1989年時点で富士建設取締役。1995年4月1日から学校法人福山学園、2008年6月23日から2020年まで学校法人銀河学院第3代理事長を務めました。この間、白馬岳山頂から見た銀河などをヒントに、1997年に開校した中学校の名称に、1998年には福山女子高等学校から銀河学院高等学校に、2008年に開校した小学校の名称と学校法人名に、「銀河」あるいは「ぎんが」を当てました。
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