福山海軍航空隊:福山市の戦時中の歴史とその遺構

福山市の文化

かつて広島県福山市にあった、福山海軍航空隊の設立から変遷、そして現在の姿までを詳しく解説します。戦争の悲惨さを忘れずに、平和の大切さを再認識するために、この歴史を知ることは大切です。

福山海軍航空隊の設立とその役割

福山海軍航空隊は、昭和18年から20年までの短い期間、広島県深安郡大津野村(現在の福山市大門町津之下)にあった日本海軍の基地で、海から離陸・着陸できる飛行機である水上機を使っていました。当初は逓信省が航空乗員を育成するための場所として作られました。

しかし、戦争が激しくなるにつれて、この場所は海軍航空隊の基地に変わりました。海軍航空隊とは、大日本帝国海軍の航空部隊のことで、戦艦から離陸・着陸できる飛行機である艦載機や、地上の敵を攻撃する飛行機である陸上攻撃機を使って、敵の艦船を攻撃したり、空からの防御をしたり、海上を見張ったりしていました。

基地の設備とその変遷

福山海軍航空隊の基地には、飛行機が離陸や着陸をするための道路である2本の滑走路がありました。また、飛行機を保管したり修理したりするための建物である格納庫、軍人が生活するための施設である兵舎、そして航空燃料を保管する施設である燃料庫などが、広い敷地の中に点在していました。

戦争が終わる前には、夜になると練習機に爆弾を付けて、ここから多くの若者が飛び立っていきました。そして、この飛行場は2回の空襲を受けました。空襲とは、敵国の飛行機が飛来し、爆弾や銃弾を落とすことを指します。戦時中の日本では、多くの都市がこのような空襲を受けました。

戦後、この飛行場は広島大学の水畜産部の場所になり、その後は自衛隊の駐屯地に変わりました。そして現在は、大手鉄鋼メーカーであるJFEの敷地となっています。JFEは、福山市に西日本製鉄所福山地区を持っています。

福山海軍航空隊の歴史を訪れる

福山海軍航空隊の遺構、つまり昔の建物や設備の名残は、現在はJFEという会社の敷地の中にあります。JFEは日本の大手鉄鋼メーカーで、福山市に大きな工場を持っています。この敷地は一般の人が普段は入ることができないので、普通には見ることができません。

しかし、毎年5月の第二日曜日には、JFEフェスタというイベントを開催しています。その時には一般の人もこの敷地に入ることができるので、その時に近くまで行って見ることができます。

まとめ

福山海軍航空隊は、戦時中の福山市の歴史を知る上で重要な存在です。その設立から変遷、そして現在の姿まで、多くの歴史が詰まっています。戦争の悲惨さを忘れずに、平和の大切さを再認識するためにも、この歴史を知ることは大切です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました