かつて福山市にあった、職種に因む町名:上米屋町・中米屋町・下米屋町

福山市の地名と由来

広島県福山市にかつてあった上米屋町、中米屋町、下米屋町は福山城の南に位置し、お米を売る人やお店が多くあった地域でした。現在は山陽本線の橋梁を管理するための標識の中に名残があります。

米屋町とは?

米屋町こめやまちは、福山城の南にあった城下の町人屋敷地です。町名はお米を売る人やお店が多くあったことに由来します。

米屋町は、北から順に上米屋町、中米屋町、下米屋町の3つのエリアに分かれていました。米屋町には、米の売買や販売、管理などを行う「米座」が設けられていました。

明治時代になると、上米屋町、中米屋町、下米屋町は合併して「米屋町」となりました。その後、明治6年には公立小学校の洗心学校が設立され、教員は男性6人、女性1人、生徒は男性137人、女性105人でした。

米屋町の現在

米屋町は、1975年に福山市城見町と福山市宝町となりました。米屋町の名前は、山陽本線の橋梁を管理するための標識の中に残っています。

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