福山市沖野上町・福山市緑町付近を散策していると「川西」という名前を書いた電柱があります。現在の三菱電機株式会社福山製作所がある場所に、川西航空機の部品組立工場があったことに由来します。
川西航空機
川西航空機株式会社は1920年(大正9年)、兵庫県神戸市に川西機械製作所として設立され、飛行機、繊維機械、衡器の生産・製造をしていました。1928年(昭和3年)飛行機部門を分離独立させ川西航空機株式会社となりました。九四式水上偵察機、九七式飛行艇、二式飛行艇、紫電改などの海軍用航空機を製造していたことから、軍用機開発を通じて帝国海軍と密接な関係にありました。2024年時点では新明和工業株式会社として、輸送機器や産業機器を製造しており、ボーイングやエアバスから航空機部品の開発や製造を受託しているほか、航空自衛隊の改造や定期修理などを行っています。
軍需工場などがあったことにより受けた福山空襲
福山市にいつ部品組立工場ができたのかは調べきれませんでした。アメリカ軍の資料によると、福山市にはこの工場の他にも軍需工場や軍事施設があり、これにより戦争の最終段階で空襲の対象となったとのことです。福山空襲は1945年(昭和20年)8月8日にありました。
現在の沖野上町、緑町の様子
現在は三菱電機株式会社福山製作所あり、近くにはハローズを核としたみどり町モールやエブリイを核としたココローズがあります。「川西」の面影は電柱のみに残されています。
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