国道182号には、山陽新幹線や山陽本線と立体交差する「新福山陸橋」があります。「新福山陸橋」があるなら「福山陸橋」がありそうなものですが、ありません。今回は福山陸橋の建設背景から消失の理由まで詳しく解説します。
福山陸橋が建設された背景
「福山陸橋」は、かつて国道313号にあった、山陽本線の上に架けられていた橋です。1957年に建設が始まり、1961年に完成しました。
その頃、山陽本線は地上の平面に敷かれており、その北側と南側の地域を行き来するためには、いくつも設置してある踏切を通るしかありませんでした。1950年代から60年代にかけて、日本では高度経済成長が進み、交通量が増えました。
特に、山陽本線は西日本を東西に結ぶ重要な交通路線であり、列車の本数が増えるにつれて、踏切での渋滞が問題となっていました。そこで、この二つの地域をスムーズに行き来できるようにするために、「福山陸橋」が計画されたのです。
福山陸橋はどこにあったのか
「福山陸橋」は三吉町南1丁目交差点と合同庁舎(東)交差点の間にありました。現在は国道313号ですが、当時は主要地方道福山・井原線でした。この道路は、福山市中心部で山陽本線と交差する唯一の県道でした。
また、この道路は国から補助金が出る主要地方道に指定されていましたし、国道2号や主要地方道福山・鞆線と接続していました。つまり、福山市中心部の東側に位置するこの場所は、陸橋を建設するのに最適だったのです。
福山陸橋はなぜなくなったのか
その後まもなく、山陽新幹線の建設と山陽本線の高架化が計画されました。福山駅周辺には山陽新幹線と山陽本線を通すための土地がなかったため、二重高架構造が採用されました。
福山駅周辺における二重高架構造は、山陽新幹線と山陽本線が同じ敷地内で、山陽新幹線を3階、山陽本線を2階として独立して運行できるようにしたものです。その結果として福山駅は非常に珍しい三層構造の高架駅となっています。また、山陽本線での車窓からの景色が構造物に囲まれたものであることから、福山要塞と呼ばれることもあります。
鉄道の二重高架建設のため、福山陸橋は1972年に取り壊されました。そして山陽本線の高架化切り替え後の1975年に、福山駅に山陽新幹線が停車しました。
福山陸橋の痕跡
福山陸橋の痕跡は、道路整備などに伴い完全になくなっています。それでも国道182号にある「新福山陸橋」や、その南北にある「新福山陸橋南詰交差点」「新福山陸橋北詰交差点」の名前に手がかりが残っています。
他に三吉町南1丁目交差点付近に現在も「陸橋ビル」という名前の建物が、かつてここに陸橋があったことを今に伝えています。
コメント