福山市曙町と福山市東深津町にある塩崎神社の関係とは?

福山市曙町にある塩崎神社は令和6年の火災により本殿が焼失しました。再建を祈っています。今回は福山市東深津町にある同名の神社との関係についてご紹介します。

福山市東深津町にある塩崎神社

福山市東深津町にある塩崎神社は、水野勝成により干拓事業の成功を祝い創建された神社です。1644年(正保元年)に水野勝成は、かつては海の中に浮かぶ王子山から梶島山までを埋め立てるために堤防を作り始めました。距離が1000間=1.8kmであることから、この堤防のことを「千間土手」と言います。「千間土手」の名前は、交差点やバス停に残されています。

しかし、大潮や暴風などで堤防が決壊し、工事はたびたび中断しました。工事の中止も考えられましたが、深津村の長老からの勧めで、才ノ尾の大明神に安全祈願したところ、決壊はなくなりました。才ノ尾というのは、塩崎神社境内の西側に位置する三重山のことです。

1646年(正保3年)、水野勝成は干拓の成功を喜び大明神を麓に降ろし、塩崎大明神として塩崎神社に祀りました。

東深津町にある塩崎神社は、干拓事業の成功を祝った水野勝成の強い思いによって創建された神社です。

福山市東深津町にある塩崎神社にまつわる場所

福山市東深津町にある塩崎神社の場所は、広島県福山市東深津町6丁目15-36です。

王子山の場所は、広島県福山市東深津町5丁目15-1付近です。

梶島山の場所は、広島県福山市引野町5丁目37-12付近です。

福山市曙町にある塩崎神社

福山市曙町にある塩崎神社は、人々により干拓事業の成功を願い創建された神社です。1864年(慶応元年)に福山藩藩主の阿部家は、かつては海の中であった箕島周辺を埋め立てるために堤防を作り始めました。この堤防のことを「一文字堤防」と言います。「一文字」の名前は、町名に残されています。

しかし工事は困難を極めました。そのため人々は神のご加護を祈り釜谷の大岩の上に、深津村にある塩崎神社の分霊を勧請して小さな祠が祀られました。釜谷のある山は、茶山や幸崎山と言われています。

1898年(明治31年)に現在の場所に移転されました。2024年(令和6年)に火災により本殿が焼失しました。

東深津町にある塩崎神社は、干拓事業の成功を願った人々の強い思いによって創建された神社です。

福山市曙町にある塩崎神社にまつわる場所

福山市曙町にある塩崎神社の場所は、広島県福山市曙町5丁目32-22です。

福山市曙町にある塩崎神社がかつてあった釜谷の場所は、広島県福山市箕島町236-1付近です。

参考URL

https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/koho-detail50/koho-202004/177272.html
https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/koho-detail50/koho-202212/277735.html
https://shiosakijinjya.net/
https://ameblo.jp/shio-jinjya/
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/424210
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/994731?display=1
https://www.sanyonews.jp/article/1514749

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