かつて福山市にあった、職種に因む町名:鍛治屋町

福山市の地名と由来

広島県福山市にかつてあった鍛冶屋町は福山城の東に位置し、鍛冶職人たちが暮らし、働いていた地域でした。現在は山陽本線の橋梁を管理するための標識の中に名残があります。

鍛治屋町

鍛冶屋町かじやまちは、福山城の東にあった城下の町人屋敷地です。町名は鍛冶屋備後藤四郎国吉の屋敷があったことに由来します。

鍛冶とはなにか

鍛冶とは、金属を加熱し、打つことで形状を変える技術のことを指します。特に、鉄や鋼を主に扱う職人を「鍛冶屋」と呼びます。鍛冶屋町は、これら鍛冶屋が集まって形成された町で、その名が示す通り、鍛冶屋が主に暮らし、働いていた地域でした。

鍛冶屋町の現在

1965年に福山市今町、福山市宝町、福山市城見町の一部となりました。鍛冶屋の名残は、山陽本線の橋梁を管理するための標識の中に残っています。

関連記事:山陽新幹線延伸開業によって廃止となった福山駅周辺の踏切

大和屋本店が過去に掲載していた広告に「鍛冶屋町」と記載がありました。店の場所が変わっていないのであれば、このあたりがまさに鍛冶屋町であったと推測されます。

参考URL

鍛冶屋町 (350000093600) | 『日本歴史地名大系』地名項目データセット

コメント

タイトルとURLをコピーしました