かつて福山市にあった、職種に因む町名:上魚屋町・下魚屋町

福山市の地名と由来

広島県福山市にかつてあった上魚屋町と下魚屋町は福山城の東に位置し、魚を取り扱う人たちが暮らし、働いていた地域でした。当時の名残は見つけられませんでした。

上魚屋町とは?

上魚屋町かみうおやまちは、福山城の東にあった城下の町人屋敷地です。町名は地域内に魚を置く棚があったことに由来します。

上魚屋町ができた当時は、魚を運ぶ船は川から福山城の外濠に入り、東門を通って町の西端の北門近くの土橋から荷を降ろしていました。しかし、藩主の水野勝成が、魚の取引の騒音を嫌って外濠への入口を築切りにした、つまり閉じたため、魚を直接町に運ぶことはできなくなりました。

上魚屋町には、生魚を扱う座である「魚座」や、塩魚を扱う座である「あいもの座」という組合があり、藩から特権を与えられていました。これにより、一部の人々は藩のための仕事も行っていました。

上魚屋町の現在

上魚屋町は1965年に城見町となりました。当時の名残は見つけられませんでした。

下魚屋町とは?

下魚屋町しもうおやまちは、福山城の東にあった城下の町人屋敷地です。町名は近くに入川があったことや地域内に魚を置く棚や魚問屋が暮らし、働いていたことに由来します。

下魚屋町は、水野勝成が福山城を築いたときから存在していました。城下町の中でも最も早く成立した町だと言われています。

下魚屋町の現在

下魚屋町は1965年に今町・宝町・笠岡町となりました。宝町(西)交差点から今町交差点までの250メートルが当てはまります。当時の名残は見つけられませんでした。

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