吉備国と備後国の歴史と地理を詳しく探求します。奈良時代から平安時代、鎌倉時代、室町時代までの変遷、重要な地域とその役割、そして現在の地理について詳しく解説します。
吉備国の由来とエリア
「吉備国」という名前は、黍がたくさん採れたことに由来するといわれています。現在の岡山県全域と広島県東部にかけて広がる地域です。瀬戸内の温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ、山海の資源にも恵まれた地域です。
吉備国を分割して備後国が誕生
大化改新後の7世紀後半には吉備国が東部、中央部、西部に分かれ、それぞれ備前国、備中国、備後国となりました。備後国は現在の広島県東部に位置します。
備後国府があった府中市
備後国府は、奈良時代から平安時代までの約500年間、政治・経済の拠点として置かれていました。備後国府は現在の広島県府中市に位置します。
古くから栄えた三次・鞆の浦・尾道
山間部では三次郡衙という、現在でいう役所が三次市にありました。沿岸部では鞆の浦や尾道が重要な港でした。鞆の浦は現在の福山市、尾道は現在の尾道市に位置します。
奈良時代初期の備後国の様子と14郡65郷
地方制度は、国・郡・里の三段階に分かれていました。現在の都道府県・市町村のそれと同じイメージです。後に「里」は「郷」に変更されています。奈良時代初期の備後国の様子とその14郡65郷は次の通りです。
郡 | 14郡 |
郷 | 65郷 |
人口 | 72900人 |
調(税) | 白絹、鉄、塩など |
都まで | 11日 |
郡 | 郷 | 割注 |
---|---|---|
安那郡 | 天家 | |
高迫 | ||
三谿 | ||
抜屋 | ||
大坂 | ||
駅家 | ||
深津郡 | 中海 | |
大野 | ||
大宅 | ||
神石郡 | 神石 | |
志 | ||
高市 | ||
三坂 | ||
奴可郡 | 刑部 | |
道部 | ||
斗意 | ||
三上 | ||
沼隈郡 | 津宇 | |
赤坂 | ||
春部 | ||
諫山 | ||
品治郡 | 駅家 | |
品治 | ||
狩道 | ||
佐我 | ||
石茂 | ||
神田 | ||
服織 | ||
葦田郡 | 佐味 | |
広谿 | ||
葦浦 | ||
都禰 | ||
葦田 | ||
駅家 | ||
甲奴郡 | 矢野 | |
甲奴 | ||
田総 | ||
三上郡 | 多可 | |
信敷 | ||
土木 | ||
神代 | ||
三上 | ||
恵蘇郡 | 恵蘇 | |
春部 | ||
刑部 | ||
御調郡 | 伯多 | |
柞原 | 美波良 | |
者度 | 伊都土 | |
佳質 | 加之土 | |
小国 | 乎久爾 | |
周島 | 与乃之万 | |
歌島 | 宇多乃之万 | |
世羅郡 | 桑原 | |
大田 | ||
津口 | ||
鞆張 | ||
三谿郡 | 三谷 | |
松部 | ||
江田 | ||
額田 | ||
刑部 | ||
三次郡 | 上次 | |
播次 | ||
下次 | ||
布努 |
鎌倉時代・室町時代の様子
鎌倉時代には土肥氏、長井氏が守護を務め、南北朝時代以降は細川氏、山名氏、毛利氏などが領有しました。
アクセス
備後国府は広島県府中市府川町付近にあったとされています。
三次郡衙は広島県三次市西酒屋町善法寺にあったとされています。住所の詳細は不明ですが、以下の地図は経緯度で表示されており下本谷遺跡の発掘調査場所は正確です。
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