福山市川口町の名前の由来、一時期は多治米や新涯も川口だった

福山市の一部となった川口町の歴史とその由来を探ります。1671年の新開地から現在までの変遷、地元の生産物、重要な地点の紹介などを詳しく解説します。

川口村とその由来

川口村は、寛文11年(1671年)に福山藩が多治米村の地先に造成した新開地です。芦田川の川口に位置したことが由来いわれています。備後国深津郡川口村の成立後は高潮による堤防決壊で荒廃したこともありました。その後は福山県深津郡川口村、深津県深津郡川口村、小田県深津郡川口村、岡山県深津郡川口村、広島県深津郡川口村となっています。

川口村の大字名としての川口

明治24年(1891年)に広島県深津郡川口村、広島県深津郡多治米村、広島県深津郡新涯村が合併し、広島県深津郡川口村大字川口、広島県深津郡川口村大字多治米、広島県深津郡川口村大字新涯となりました。合併した村の中で最大の川口村の名前を採用し、川口に役場を設置しました。

明治31年(1898年)に深津郡と安那郡の合併により、広島県深安郡川口町大字川口、広島県深安郡川口村大字多治米、広島県深安郡川口村大字新涯となりました。

この頃の川口では、綿花や米のほか、果実や野菜も生産されていました。特に軟白ネギ、イチジク、ナス、キュウリが生産されました。ほかに養豚や養鶏に取り組んでいました。

福山市に編入し川口町に

昭和8年(1933年)に福山市に編入され、広島県福山市川口町、広島県福山市多治米町、広島県福山市新涯町となりました。川口耕地区画整理事業完了などに伴い広島県福山市川口町の一部は、昭和44年(1969年)に広島県福山市曙町、昭和53年(1978年)広島県福山市新涯町となりました。

史跡などの紹介

広島県深安郡川口町のとき川口町役場は、広島県福山市川口町2丁目12-7付近にありました。

川口築成・三百年記念事業碑は、広島県福山市川口町2丁目10-59にあります。

川口郷土資料館は広島県福山市川口町2丁目10にあります。

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