広島県福山市にいまもある船町は福山城の南東に位置し、江戸時代には町の中に船着場があり船宿が立ち並んでいた地域でした。現在の船町には、多くの商業施設があります。
江戸時代の船町
船町は、福山城の南東にあった城下の町人屋敷地です。町名は、町の中に船着場があり、船宿が立ち並んでいたことに由来します。また右岸(南側)の町筋を「浜の町」、左岸(北側)の町筋を「船町」と区別することもありました。
町の中央には入川が流れ、福山城に近い順で天下橋こと本橋と、木綿橋こと新橋という橋がかかっていて、両岸を行き来することができました。本橋は元橋と書かれることもあります。
入川の左岸には中番所という役場が設けられ、船で来た人の身分証明書や、川口を出入りする船の許可証、荷物の税金などを調べていました。阿部正邦が藩主になってから、船で来た人や荷物の税金を改め、他所から来た使者や飛脚は船町で宿泊することを義務付けました。
船町には、船を所有して旅船を運航することで生計を立てている人が多く、両町の船の数は大小合わせて57艘にもなりました。しかし、その後は船の運航許可証だけ残って実際に運航されていない船が多くなり、船の数は37艘に減少しました。
明治時代以降の船町
明治6年(1873年)には、船町に公立小学校の周成学校が設立されました。
昭和40年(1965年)には、船町の一部が宝町・笠岡町・延広町・元町となり、神島町上市・神島町中市・新町・御船町・福徳町の各一部を編入されました。
現在の船町
「浜の町」の北側の道筋である「きたはま通り」や、Joyふなまち、福山本通船町商店街があります。
天下橋こと本橋あるいは元橋のモニュメントがあります。
木綿橋こと新橋のモニュメントやバス停「木綿橋」があります。
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