福山ナンバーはいつからはじまった?対象地域は?なぜ広島東洋カープ?

福山市の交通

福山ナンバーの歴史や変遷を詳しく解説します。福山ナンバーは1967年6月1日に、福山市、尾道市、三原市、竹原市、府中市、因島市、比婆郡、神石郡、世羅郡、深安郡、沼隈郡、御調郡、芦品郡、甲奴郡、豊田郡、以上の6市9郡を対象に交付されました。福山版図柄入りナンバープレートに、広島東洋カープの絵が描かれている理由についてもご紹介します。

ナンバープレートのはじまり

日本で最初にナンバープレートをつけることが決まったのは、1907年のことです。そのころはまだ交通ルールがしっかり決まっておらず、事故がたくさん起こっていました。そのため、「所有者を明確にしよう」と、4桁の数字が書かれたナンバープレートをつけることが決まりました。

1919年2月には、日本全国の車にナンバープレートをつけることが決まりました。このとき、ナンバープレートには原則、地名が漢字一文字で書かれることになりました。例えば、広島県では「広」、岡山県では「岡」と書かれるようになりました。

支所開設により、「広ナンバー」から「福山ナンバー」へ

1960年代には、車がたくさん増えてきて、都道府県ごとに一つの陸運事務所(現:運輸支局)だけでは、そのすべての車を管理することが難しくなりました。そこで、車が多い地域では陸運事務所に支所(現:自動車検査登録事務所)を作ることになりました。その支所で交付するナンバープレートには、支所の地名が書かれるようになりました。

広島県では1967年6月1日、福山市に広島県陸運事務所福山支所ができました。そのとき、広島県の車のナンバープレートは、広ナンバーから福山ナンバーに変わりました。それと同時に、広島県陸運事務所が管理する地域の車のナンバープレートは広ナンバーから広島ナンバーに変わりました。

ちなみに、そのころ、日本全国でナンバープレートが2種類以上ある都道府県は東京都、大阪府、兵庫県、福岡県などであり、中国地方ではもちろん初めてのことでした。

市町村合併による福山ナンバーの変遷

福山ナンバーができたときの範囲は、福山市、尾道市、三原市、竹原市、府中市、因島市、比婆郡、神石郡、世羅郡、深安郡、沼隈郡、御調郡、芦品郡、甲奴郡、豊田郡、以上の6市9郡でした。

時間が経つにつれて、市町村合併により、現在の福山ナンバーの範囲は、福山市、尾道市、三原市、竹原市、府中市、神石郡、世羅郡、豊田郡、以上の5市3郡に変わっています。

年月日出来事変更前変更後
2004年4月1日広島県豊田郡川尻町が呉市に編入合併福山広島
2004年4月1日甲奴郡甲奴町が庄原市と合併福山広島
2005年2月7日広島県豊田郡安芸津町が東広島市に編入合併福山広島
2005年3月20日広島県豊田郡安浦町・豊浜町・豊町が呉市に編入合併福山広島
2005年3月22日広島県賀茂郡大和町が三原市と合併広島福山
2005年3月31日広島県甲奴郡総領町と比婆郡西城町・東城町・口和町・高野町・比和町が庄原市と合併福山広島

福山ナンバーの地域の魅力を伝えるナンバープレート

2018年10月から、ナンバープレートにはその地域の特徴を表す絵やキャラクターを描くことができるようになりました。これは、車が走るたびにその地域の魅力を広めることができるようにするためです。

福山版図柄入りナンバープレートには、広島東洋カープの絵が描かれています。その理由は、福山ナンバーには、福山市だけでなく、尾道市、三原市、竹原市、府中市、神石郡、世羅郡、豊田郡、以上の5市3郡の地域にもそれぞれ魅力的な名所や名物があり、それらを一つのナンバープレートに描くことができなかったためです。そこで、広島東洋カープの絵を描くことにしました。これなら、福山ナンバーの地域を一つにまとめられるとの思いから、それが採用されました。

参考URL

https://wwwtb.mlit.go.jp/chugoku/gian/faq01.html
https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bingorenkei/324213.html

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