広島市立中央図書館の静寂、広島城の荘厳な佇まい、週末に賑わう地域の公民館。広島市民なら誰もが一度は訪れたことがあるであろうこれらの文化施設。私たちは普段、完成された「表側」の姿に触れていますが、その壁の向こうでは、日々多くのドラマや、時に歴史を揺るがすほどの意外な物語が生まれています。
この記事では、普段はあまり光の当たらない文化施設の「ウラ側」に迫ります。公式な事業報告書や新聞記事といった公開情報の中から、特に驚きに満ちた4つの物語を厳選し、ご紹介します。あなたが次に訪れるとき、その場所が少し違って見えるかもしれません。
1. 幻の名作映画が、広島の民家で発見されていた
広島市映像文化ライブラリーと聞けば、名作映画を上映する施設というイメージが強いでしょう。しかしこの場所は、単なる上映施設にとどまらず、日本の映画史に残る世紀の大発見の舞台となったのです。
物語は1991年、市民からの「フィルムを処分したい」という一本の相談から始まりました。職員が確認に向かうと、そこにあったのは、長らく所在不明だった伊藤大輔監督の『忠次旅日記』(1927年)のフィルムでした。
この発見は、単なる偶然の幸運ではありません。国立映画アーカイブの専門家が「戦前の日本映画史でベストワンに輝き」と評価するほどの傑作が、なぜ広島で発見されたのか。それは、この施設の設立理念そのものに答えがあります。
広島市映像文化ライブラリーは、1982年に開館した、自治体が設立した国内初のフィルム・アーカイブ。その背景には、被爆地としての強い使命感がありました。
広島には、原爆に関するあらゆるフィルム資料を収集・保存する義務がある。記録映画はもとより、劇映画でもテレビ番組でも、時がたてばかけがえのない資料となる。
この理念のもと、あらゆる映像遺産を地道に収集・保存し続けてきたからこそ、市民からの相談が舞い込み、歴史的発見へと繋がったのです。この一件は、専門家が指摘するように、日本の「アーカイブ活動を深化させる契機にもなった」映画保存史における一里塚でした。
そして2026年、ライブラリーはJR広島駅南口のエールエールA館へ移転し、フィルム保管に最適な低温収蔵庫が新設される予定です。この移転により、映像という文化遺産を未来へつなぐ役割は、さらに強化されることでしょう。
2. 原爆で焼失、そして大論争の末の移転。中央図書館の波乱万丈な歴史
現在、JR広島駅前への移転計画で注目を集めている広島市立中央図書館。その歴史は、原爆による壊滅的な被害から立ち上がった、壮絶な物語でもあります。
図書館の起源は、旧藩主浅野家によって大正15年(1926年)に設立された私立浅野図書館に遡ります。その後、昭和6年(1931年)に市へ寄贈され、市民の知の拠点として歩み始めました。しかし1945年8月6日、その歴史は一瞬にして断ち切られます。原爆により建物は外郭を残して大破し、疎開させていた約1万点の貴重資料を除き、すべてを焼失したのです。
戦後、比治山本町の仮施設での再開を経て、昭和49年(1974年)、現在の基町・中央公園内に移転し、多くの市民に親しまれてきました。そして今、建物の老朽化を理由に、再び大きな転換点を迎えています。2026年春の開館を目指し、JR広島駅前のエールエールA館への移転が計画されているのです。
しかし、この計画は「大論争」を巻き起こしました。一部の市民団体から「緑豊かな中央公園内での建て替えを望む」という声が上がっているのです。ここには、文化施設が都市の中でどうあるべきかという根源的な問いが潜んでいます。
緑に囲まれた静かな環境で思索を深める「公園の図書館」という価値と、駅に直結し商業施設と連携することで新たな賑わいを生む「駅前の図書館」という価値。二つの理想が交錯するこの論争は、図書館が単なる本の貸出場所ではなく、都市の未来像を映し出す鏡であることを示しています。
3. 広島城から地域の公民館まで。一つの財団が動かしていたという事実
天守閣がそびえる広島城、最新の科学に触れられるこども文化科学館、日々のサークル活動で利用する公民館。これほど多種多様な施設が、実は「公益財団法人広島市文化財団」という一つの組織によって運営されていることは、あまり知られていません。
この財団は、昭和56年(1981年)の設立後、「広島市歴史科学教育事業団」など複数の組織との統合を経て現在の姿になりました。その結果、運営する施設の範囲は驚くほど広大です。
- 博物館施設: 広島城、郷土資料館、こども文化科学館、現代美術館、江波山気象館、交通科学館
- 図書館: 中央図書館、各区図書館、まんが図書館、映像文化ライブラリー
- 文化施設: 各区民文化センター、アステールプラザ
- 社会教育関連施設: 公民館(71館)、青少年センター、少年自然の家
- その他: 広島サンプラザ など
一つの財団がこれほど多くの施設を横断的に運営することで、ユニークな連携事業が生まれています。例えば、平成29年度(2017年度)には、江波山気象館と安佐公民館が連携し、体験装置や実験を地域に届ける「移動科楽館」を開催。
また、中央図書館と映像文化ライブラリーなどが共同で「ひろしま図書館まつり」を実施するなど、歴史学習と科学体験、読書と映画鑑賞といった、多角的な文化体験を市民に提供できるのです。
その活動規模は数字にも表れています。平成29年度(2017年度)の事業報告書によると、市内71の公民館が企業や市民団体と連携して開催した講座には、延べ9,192人もの市民が参加しました。私たちの文化的な暮らしは、この巨大な財団によって静かに、しかし力強く支えられているのです。
4. 「おやじバンド」から「笑いの学舎」まで。専門施設の知られざる人気企画
図書館は静かに本を読む場所、美術館は厳かにアートを鑑賞する場所。そんな固定観念を覆す、ユニークで地域に根差したイベントが、広島の文化施設では数多く開催されています。その活気は、具体的な数字からも見て取れます。
- おやじバンドフェスティバル(西区民文化センター): 「若い頃の情熱をもう一度」と、公募で集まった中高年世代のバンドが熱い演奏を繰り広げる恒例の音楽イベント。平成29年度の開催時には、初日だけで20バンド95人が出演し、447人の観客を熱狂させました。
- 夏休みおばけの博物館(郷土資料館): 夏の風物詩として子どもたちに大人気の企画。昔ながらのお化け屋敷体験だけでなく、お化けが生まれた背景にある昔の暮らしや文化も学べます。平成29年度には、約1ヶ月の開催期間で実に9,099人もの来場者を集めました。
- 笑いの学舎(安佐南区民文化センター): 主に高齢者を対象に、広島演芸協会のプロの話芸に触れる機会を提供。「笑い」を通じて生きがいと健康づくりを支援する地域密着型の企画で、平成29年度は延べ152人が参加し、会場は笑いに包まれました。
- 感動塾・みちくさ(三滝少年自然の家): 子どもたちの科学への興味を引き出し、「生きる力」を育むことを目的とした宿泊型の体験学習。平成29年度には32人の小学生が参加し、自然の中での新しい発見や感動を分かち合いました。
これらの企画は、広島の文化施設が単に知識や芸術を提供するだけでなく、世代を超えた交流の創出、地域コミュニティの活性化、そして市民一人ひとりの生きがいの創造といった、多様で重要な役割を担っていることを物語っています。
結び
幻の映画発見の舞台となったライブラリー、被爆と復興、そして都市開発の論争の中に立つ図書館、市内の文化施設を網羅する巨大な財団の存在、そして地域を元気にする数々のユニークな企画。広島の文化施設は、静的な建物ではなく、市民の想いと共に歴史を刻み、未来を創造するダイナミックで「生きた場所」なのです。
これらの活動は、私たちの税金や寄付によって支えられています。次にあなたが訪れる施設は、単なる静かな「箱」でしょうか。それとも、数多の物語が交差し、あなた自身の新たな物語が始まるのを待つ、生きた「舞台」なのでしょうか。
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