毛利元就ゆかりの清神社のご神木伐採へ、安芸高田市

メモ

毛利元就ゆかりの清神社、大杉に別れ

安芸高田市吉田町にある清神社は、戦国武将の毛利元就が必勝を願ったとされるゆかりの深い神社です。現在もJリーグのサンフレッチェ広島が毎年、必勝祈願に訪れる場所として有名です。

この神社の境内には、樹齢700年以上、あるいは700年から1000年とも推定される大杉のご神木がそびえ立っています。これらの杉は安芸高田市の天然記念物に指定されています。地元住民は幼い頃からこの杉に親しんでおり、この大杉は毛利氏が入る前から存在し、元就も見ていた「安芸高田市の歴史を見てきた杉」であるとされています。

倒木懸念と安全確保のための決断

清神社の境内にはもともと6本の杉がありましたが、そのうちの1本は1999年の台風18号によって高さ14メートルを残して折れました。この折れた杉の根元は現在「身代わり杉」として神殿に祀られています。

しかし、残りの5本についても老朽化が進んでおり、樹勢が弱まり枯れた枝は作業員の手で簡単に折れてしまう状態でした。近隣の住宅への倒木被害が懸念されるため、やむを得ず、今回2本を伐採し、残りの3本の上部を切り詰めることが決断されました。宮司は、倒壊して被害が及ぶ前に人間の手を加えて整える必要があると判断したと述べています。

伐採作業は2025年10月14日朝の神事から始まり、17日まで4日間かけて行われる予定です。伐採が始まった14日朝には、多くの地元住民が朝早くから駆けつけ、長年親しんだご神木の最後の姿を見届けました。住民からは、幼い頃の思い出を振り返りながら、まるで「お友達がいなくなるみたい」と寂しさを表現する声や、「絵になる景色がなくなると悲しい」といった惜しむ声が聞かれました。また、カヌー・スラローム選手の岡﨑遥海さんの家族のように、毎年必勝祈願に訪れていた家族もいます。

私の見解

長い年月を経て地域とともに歩んできた清神社の大杉は、単なる自然の象徴ではなく、人々の心に根づいた「時の証人」だったのだと思います。伐採という決断は悲しいものですが、安全を守りつつ、後世にその存在を伝えるための大切な選択でもあります。

この大杉が見つめてきたのは、毛利元就の時代から現代まで続く安芸高田市の歴史そのものです。木の命が尽きても、地域の記憶の中で生き続けることで、清神社と地元の絆はこれからも揺るがないと感じます。

自然と共に生きるとは、ただ守ることだけでなく、必要な時に人が責任をもって関わることだと思います。大杉が残した教えを胸に、地域の人々が新たな歴史を紡いでいく姿にこそ、未来への希望を感じます。

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