なぜ福山市田尻町があんずの里?理由や由来は?

福山市の文化

広島県福山市田尻町は、「あんずの里」として広く知られています。春になると、町内いたるところで可憐なあんずの花が咲き誇り、訪れる人々を魅了します。しかし、なぜ田尻町はあんずの里と呼ばれるようになったのでしょうか?その理由や由来について、様々な角度から探っていきたいと思います。

あんずの特徴と用途

あんずは中国が原産地で、バラ科の木で、高さは3から5メートルほどです。木の形は梅に似ていますが、梅より少し遅れて、淡いピンク色の五弁花を咲かせます。実は、ジャムや砂糖漬けなどにされて食べられます。また、種子は漢方薬として使われ、咳止めなどに効果があるとされています。

田尻町とあんずの関係

田尻町とあんずの関係は、天和元年(1681年)に阿闍梨尊意あじゃりそんいという人が円明寺の住職として入村したときに、寺にあんずの木を植えたことから始まったと伝えられています。江戸時代から大正時代にかけて、田尻町で育てられたあんずは鞆の浦から各地に運ばれ、その名声が高まりました。

1935年頃までは、あんずの里として有名でした。しかし、戦争の影響で農地が畑作に転換され、あんずの木が枯れてしまいました。その結果、種子が一時絶えていました。

田尻町におけるあんずの栽培と流通

今では町内に3000本以上のあんずの木があり、毎年3月になると田尻一帯に美しいあんずの花が咲き誇ります。そして、農協を通じて出荷されたり、契約農家から市内の和菓子店に供給されたりしています。

「あんずまつり」のはじまりと盛り上がり

1993年からは、地元の有志によって「あんずまつり」というイベントが始まり、2000年からは町内会連合会が主体的に運営しています。毎年3月に行われるこのまつりは、近年では様々なメディアに取り上げられ、桜よりも早い時期に開催される花見イベントとして、県内外から1万人を超える多くの人々が訪れる大きなイベントとなっています。

まとめ

田尻町のあんずにまつわる魅力と歴史を垣間見ました。あんずの特徴や栽培、地域との結びつき、そして「あんずまつり」など、その価値は多岐にわたります。この豊かな文化と自然の息吹きを感じるひとときを、ぜひ田尻町でご体験ください。

アクセス

円明寺の住所は、広島県福山市田尻町3275です。

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