対潮楼(3)文化財保護と朝鮮通信使の足跡

福山市の文化

広島県福山市鞆町には対潮楼という建物があります。今回は対潮楼が国の史跡に指定されたことについて、全国に残る朝鮮通信使の足跡についてご紹介します。

対潮楼は広島県と国の史跡となる

対潮楼は、1930年に「広島県史跡・鞆朝鮮信使宿館跡」に指定されました。また1994年に国の史跡「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」に指定されました。

対潮楼と同時に国の史跡「朝鮮通信使遺跡」の指定を受けたのは、岡山県の牛窓町にある牛窓本蓮寺ほんれんじと静岡県の清水市にある興津清見寺おきつせいけんじです。本蓮寺は鞆の次の海駅であり、三使の墨跡が多く残り、興津清見寺は三保の松原が見下せる景勝地にあり、いずれも宿泊遺構や建造物が残っています。

全国に残る朝鮮通信使の足跡

朝鮮通信使は、釜山から船で対馬、壱岐、福岡の藍島、下関、上関、蒲刈、鞆、牛窓、室津、兵庫を経て、大坂に入り、船を乗り換えて淀川をのぼり、淀から陸路京を経て江戸に向かいました。

このほかにも国内の多くの地域で朝鮮通信使に関わる足跡を見ることができます。また、絵として残っているものもあります。1748年に来日した時の江戸市中を行進する朝鮮通信使一行の様子を浮世絵師が描いたものや、1764年来日した時のものと思われる京都の市中を行進する様子を屏風図に描いたものなどもあり、一行の様子や歓迎の様子がわかります。

参考URL

https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-106120180.html
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/206953
https://museumcollection.tokyo/works/6249947/

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