被爆者の願いをアートと証言で伝える:田中稔子さんの平和への活動

メモ

被爆体験をアートで伝えるミュージアムが9月21日にオープン

被爆者で壁面七宝アートの第一人者である田中稔子さん(86)の作品を集めた「ピースカルチャーミュージアム」が、9月21日に広島市東区にオープンしました。NPO法人が設立したこのミュージアムでは、田中さんが約60年間で制作した約60作品のうち12点が展示されています。

田中さんは、6歳の時の被爆体験をアートに取り入れ、平和へのメッセージを発信し続けており、作品制作は原爆で目にした凄惨な光景のトラウマ解消と、現在の「祈りの世界」に繋がっていると述べています。ミュージアムは完全予約制で、来場者に平和への思いを深めてもらうことを目的としています。

万博や広島空港で平和への思いを発信

田中さんは、船で世界をめぐる「ピースボート」に参加したことをきっかけに活動を続け、これまで80カ国以上で被爆体験を証言してきました。2025年9月10日には、大阪・関西万博の国連パビリオンで行われたイベントに参加し、関東から九州まで各地から集まった参加者に対し、被爆直後の状況や、被爆による差別も受けた経験について語りました。

田中さんは、世界中の国々に多くの親しい友人を作ることが大切だと強調し、友人のいる国に対してはすぐに爆弾を落とす気にはならないはずであり、その「ためらいの気持ち」こそが真剣な外交による解決の始まりだと信じている、との考えを示しました。

また、広島空港には、平和をテーマにメキシコ人のアーティスト2人が制作する友好記念の壁画が描かれる予定で、田中さんはデザインの助言などで協力しています。この壁画制作のためのクラウドファンディングは9月7日まで募集されました。

田中さんは、広島が世界平和の糸口となるべきであり、空港がその入口として世界平和にメッセージを投げかけられるような作品になることを望んでいる、と述べています。

さらに田中さんは、海外からの訪問者に「原爆が公園に落ちて良かった」と言われた際、「何もなくなったから公園になったのであって、元々はカフェや映画館、旅館などが建ち並ぶ広島の中心街だった」と、平和公園の足下に眠る「失われた町」(旧中島地区)の記憶を強く伝えています。

田中さんは、平和大橋のすぐ近く、現在の原爆資料館の場所にあった幼稚園に通い、かつて繁華街であり中心地であった旧中島地区で幼少期を過ごしました。

私の見解

ピースカルチャーミュージアムの開設は、被爆体験を「アート」という感覚的・直感的手段で伝える試みとして非常に意義深いです。田中稔子さんの作品は、単なる歴史資料ではなく、被爆の記憶と平和への思いを観る者に直接訴える力を持っています。特に、作品制作がトラウマの解消と祈りの表現につながっている点は、アートの心理的・社会的機能を示す重要な事例です。

また、世界各地での証言活動や、広島空港の壁画制作への協力は、被爆体験を単に過去の記録として留めるのではなく、現代の国際社会に対する平和メッセージとして発信している点で意義があります。田中さんの指摘する「友人のいる国には爆弾を落とさない」という考えは、個人的な経験から生まれた平和教育の哲学として説得力があります。

さらに、旧中島地区の記憶を伝える点は、平和公園の象徴的な美しさの背後にある歴史の現実を忘れないために重要であり、単なる観光やイベントでは得られない学びを提供しています。こうした活動は、国内外の来場者に平和の価値を具体的に考えさせる力を持つと考えます。

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