閏日に生まれた、福山にゆかりのある人物

福山市のエトセトラ

閏日は、地球が太陽の周りを一周するのにかかる時間(約365.2422日)と、私たちが使っている1年(365日)との間のズレを調整するために存在します。このズレが4年で約1日になるため、4年に1度、2月に1日(2月29日)を追加します。これにより、季節とカレンダーのズレを防いでいます。今回は閏日に生まれた、福山にゆかりのある人物を紹介します。

菅茶山

菅茶山は延享5年2月2日(1748年2月29日)に、川北村(福山市神辺町川北の七日市上地区)に生まれました。

江戸時代後期の儒学者・漢詩人で、備後国神辺(現在の広島県福山市神辺町)に私塾「黄葉夕陽村舎」を設立し、人材の育成に尽力しました。彼の詩は風格高逸と称され、詩文集『黄葉夕陽村舎詩』は幅広い読者を得ました。また、彼の塾は1796年に福山藩の郷学として認可され、「廉塾」と名が改められました。

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立石定夫

立石定夫は昭和3年(1928年)2月29日に、広島県福山市東堀端町(現在の広島県福山市城見町)に生まれました。

日本の政治家、弁護士、歴史研究家です。広島県議会議員や福山市長を務めました。市長退任後は、水野勝成、島津義弘、杉原盛重、藤井皓玄、備前国の宇喜多氏など、戦国時代の武将や人物に関する歴史書を多数執筆しました。

参考URL

https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-kanchazan/3112.html
https://seishikan-dousoukai.com/jinbutsushi/4480/

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