鞆の浦に伝わる悲しい伝説『百貫島物語』と「海ノ民話のまち」認定

広島県福山市にある鞆の浦に伝わる『百貫島物語』を紹介します。鎌倉時代の侍と漁師の物語から始まり、現在の百貫島と海ノ民話のまちプロジェクトまで。地元の歴史と伝説を探求しましょう。

『百貫島物語』とは?

鞆の浦に伝わる『百貫島ひゃっかんじま物語』は、近江の侍と、鞆の浦に住んでいた漁師にまつわる鎌倉時代の話です。

ある侍が安芸の厳島神社を参拝し近江へ帰る途中、誤って家宝の刀を船から海に落としてしまいました。侍は鞆の浦に住む漁師たちに、労力として百貫を出すから海に沈んだ刀を取ってくるよう頼むも、この海域は潮の流れが速いだけでなくフカが出るため誰も行こうとしませんでした。

そんな中、鞆の浦の漁師の名誉を守るため、ある若い漁師が海に飛び込みました。刀をくわえて浮かび上がってきましたが、刀を渡すとフカに襲われ命を落としてしまいました。侍は供養のため、労力として渡すはずだった百貫で島を買い取り、十一重石塔を建てたと伝えられています。

安芸とは現在の広島県西部付近の地域を指し、近江とは現在の滋賀県付近の地域を指します。鎌倉時代の100貫とは、現在の価値に換算すると1,000万円から2,000万円程度です。フカとはサメのことです。

YouTubeにアップロードされた『百貫島物語』

百貫島の紹介

百貫島は弁天島のことで、福山市鞆町鞆と仙酔島の間にある小さな島です。島には弁財天女が祀る朱色のお堂があります。創始時期は不明ですが、江戸時代初期に鞆町奉行・荻野重富によって再建され、福寿堂と呼ばれています。

近くには広島県重要文化財の九層石塔婆があります。文永8年と銘があり、西暦1271年、鎌倉時代に建立されていたことが分かります。この島と石塔婆が『百貫島物語』そのものです。

別記事「福山市周辺にもある!七福神巡り」もご参照ください。

現在の石塔婆

現在の石塔婆は9層ですが、そのうち4層目の上部が不自然であり、本来の形は伝説と同じ11層であったと考えられています。花崗岩でできており、高さは3.71メートル、基礎幅は0.85メートルあります。

海ノ民話のまちプロジェクトとは?

「海ノ民話のまちプロジェクト」は、日本全国に残されている海にまつわる民話や伝承を選定し、アニメーションで表現するプロジェクトです。このプロジェクトは、海と深い関わりを持つ日本の「海との関わり」や「地域の誇り」を子どもたちに伝え、継承していくことを目的としています。

具体的には、各地の民話に込められた「思い」や「学び」をアニメーションで表現し、公式サイトやYouTubeチャンネルで公開しています。アニメーション化には、日本昔ばなし協会が携わっています。また、民話が伝わる地域を「海ノ民話のまち」に認定し、さまざまな形でのアニメーション活用を支援しています。

このプロジェクトは、日本財団が推進する「海と日本プロジェクト」の一環として実施されています。このプロジェクトを通じて、多くの人に「海」との関わりについて考える機会を提供しています。

アクセス

百貫島こと弁天島の場所は、広島県福山市鞆町弁天島です。ただし、定期船はないため、チャーター便で行くしかないようです。

しかし、鞆の浦にある福禅寺の対潮楼から見ることができます。福禅寺の住所は、広島県福山市鞆町鞆2です。

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