福山市名誉市民、松本卓臣氏が105歳で逝去

メモ

福山の経済とまちづくりを牽引した功績

福山市の名誉市民であり、福山商工会議所の名誉会頭を務めた松本卓臣(まつもと・たくおみ)氏が、2025年10月6日に老衰のため、市内の病院で105歳で亡くなりました。松本氏は1920年(大正9年)6月生まれで、福山市出身です。

松本氏は、創業者の義父から事業を引き継ぎ、染色業の山陽染工で社長や会長を務めることで、備後地方の繊維産業を支え、戦後の復興に尽力しました。また、1961年に福山瓦斯(福山ガス)の代表取締役社長に就任し、通算45年間、社長としてガスの普及に尽力しました。

経済界における功績は特に大きく、1991年から2004年までの13年間にわたり福山商工会議所の会頭を務め、その後、名誉会頭に就任し、福山の経済界を力強く牽引しました。公職としては、福山市観光協会(現在の福山観光コンベンション協会)の会長や都市計画審議会委員などを歴任し、まちづくりに多大な尽力をされました。

文化振興と地域貢献の足跡

松本氏は、福山のまちづくりや地域活性化に多大な貢献をしました。特に、旧福山そごうの工場跡地(現在のエフピコRiMの土地)を市に無償で提供し、中心市街地の活性化と公共の福祉の増進に貢献しました。

さらに、文化振興においても計り知れない貢献があり、表千家同門会備後支部長も務める文化人として、茶道具の名品を含む貴重な美術工芸品、合計125点を市に寄贈しています。これらの美術品は「松本コレクション」として、ふくやま美術館などで市民に親しまれています。

松本氏は、その多大な貢献が認められ、2003年8月7日に福山市名誉市民に推戴されました。また、1997年には勲三等瑞宝章(産業振興功労)を受章しています。

市長による弔意表明

松本氏の訃報に際し、福山市の枝広直幹市長は、突然の訃報に接し言葉もなく深い哀惜の念に堪えないとの考えを述べました。また、松本氏が長年にわたり本市経済界を牽引し、まちづくりや公共の福祉の増進、産業や文化の振興に計り知れない大きな貢献をされたことに言及しました。市長は、松本氏がいつもお元気で、気さくな人柄であっただけに誠に残念であり、心より冥福を祈るとしています。

私の見解

松本卓臣氏の105年の歩みは、まさに福山の発展の歴史そのものだったと感じます。産業やインフラ、文化に至るまで、その影響は幅広く、地域の礎を築かれた存在でした。特に、戦後の復興期から経済界の発展を支え続けた姿勢には、地域リーダーとしての信念が息づいています。

松本氏が市に土地を無償で提供し、文化財を寄贈されたことは、「地域の未来に託す思い」の象徴だと思います。経済的な成功だけでなく、公共への還元を重んじる姿勢が、後世へのメッセージとして今も輝いています。その理念は、まちづくりの本質を私たちに問いかけています。

これからの福山は、松本氏が遺した精神をどう継承し、次の世代につなげていくかが問われます。市民一人ひとりが、地域を支える誇りと責任を胸に、より豊かなまちづくりを進めていくことが、何よりの弔意となるのではないでしょうか。

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